identity

バンプニルヴァーナが好き

誰に嫌われても誰の先導も受けない

助言すら耳に届かない

ただ好きでいられる自分が好きなだけ

現代に蔓延る下劣な文化

最近巷では早口で重箱の隅をつつくような下劣なコントが流行っているらしい。

俺はその役者共にお前らそれでいいのかよ、問いたい。

俺は弁護士と同じ理由でお前らが嫌いだ。

弁護士は養護したくもない相手を金のために養護するが、お前らは叩きたくもない相手を金のために叩いているんじゃないかと思う。

お前らが本当に養護したい人間はそいつらなのか?

お前らが本当に叩きたい人間はそいつらなのか?

そして何より嫌いなのは舞台で馬鹿みたいに踊らされている役者共じゃねえ。

その脇でほくそ笑みながら踊らせている運営者とそれを支持しているやつらだよ。

多くのスポーツでは敬意を払っている人間同士で戦うこともおおい。

これはお互いが強くなるためにやっていると考えれば納得がいく。

だけどお前らはどうだ?

揚げ足をとったり、重箱の隅つつくようなことをしたり。

お前らのやることは俺には下劣で卑しいことにしか映らないよ。

一体何を考えてお前らはそんなことやっているんだ?

 

腕力は時に無力な代物だ。

本当に殴りたいやつにたどり着く前に潰されてしまう。

だけど言論は時に雲の上にいる人間にも一矢報いることもできる。

口の使い方ってそういうものじゃないのか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

veryape

ネット依存している俺の生活の中で目に飛び込んでくるのは下半身に訴えかける手口の広告ばかり。

お前らがどんなに取り繕おうが底の浅さはありありと透けて見える。

アニメ、漫画、ゲーム、音楽、文学といったメディアが体裁と見栄えだけの軽薄なものになるならば、そこに集まる支持者の価値観も軽薄なものだ。

短絡的で抜け落ちだらけの論理を信じて生きる哀れな人々。

10分で考えついた様なその盾を何十年も疑うこともなく信じ続ける。

その場だけの雨くらいは凌げていたのかもしれないが、その心と身体は今にも倒れそうにも見えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

クオリア

俺の理解が正しければ、被観測者と観測者がいたときに観測者から見れば被観測者がクオリアを持つということを客観的に裏付けることはできない。

クオリアがないということ、つまりそれは機械で再現できる、機械同然ということ。

それは自分以外の全ての人間がある日突然クオリアを失ったとしてそれに自分は気づくことができないということ。

こんなことを考えているといつも同じ考えに行き着く。

何故自分はクオリアなんて厄介なモノをもっているのだろうか。

クオリアなんてなくても世界は何一つ不自由なく回ることができるのに。

クオリアなんてなくなっても不自然なことは何一つおこらないのに。